川原俊夫(ふくや明太子)のプロフィール|妻千鶴子さんとその家族
全国的にも有名で僕も大好きな「ふくやの明太子」。
5月31日の奇跡体験!アンビリバボーでふくやの創業者である川原俊夫さんの人生を特集で放送されます。
今でこそ有名なふくやですが、そうなるには様々な物語があったようです。
そんな川原俊夫さんのプロフィールと経歴、その妻の千鶴子さんと家族いついてまとめましたのでご覧ください。
目次
川原俊夫さんのプロフィール
写真 | |
名前 | 川原俊夫 |
生誕 | 大正2年(1913)1月25日 |
没 | 昭和55年(1980)7月17日 |
父/母 | 父:川原宇次郎 母:トヨ |
出生 | 釜山府寶水町3丁目12 |
川原俊夫さんは韓国の釜山で生まれていますが、韓国人というわけではなく、日本人です。
元々川原家は福岡県の出身でしたが、釜山で商店を営むために海を渡っていたのです。
そこで食べていた明太子の味が忘れられず、ふくや誕生へとつながっていきます。
川原俊夫さんの経歴
ふくや創業者川原俊夫さんの経歴を一部抜粋して年表のようにしてみましたのでご覧ください。
大正2年(1913)1月25日 | 誕生 |
昭和5年(1930)3月 | 釜山中学卒業 十三回生 |
昭和7年(1932)3月 | 南満州電気株式会社に入社 |
昭和11年(1936)1月6日 | 田中千鶴子と結婚 |
昭和12年(1937)6月 | 長男 俊一 誕生 |
昭和13年(1938)9月10日 | 長男 俊一 没 |
昭和18年(1943) | 二男 健 誕生 |
昭和19年(1944)8月10日 | 召集 宮古島へ |
昭和21年(1946)1月10日 | 千代町公設市場で開業 |
昭和23年(1948)10月5日 | 中洲市場に「ふくや」開業 |
昭和24年(1949)1月10日 | 明太子発売開始 |
昭和25年(1950)3月18日 | 三男 正孝 誕生 |
昭和55年(1980)7月17日 | 没 |
韓国で生まれ育った川原俊夫さん。
妻の千鶴子さんと一緒に慣れ親しんで好んで食べていたスケトウダラの塩漬け。
※朝鮮語で明太(ミョンテ)と呼ばれているものですが、当時日本人はメンタイと呼んでいました。
朝鮮半島で終戦を迎えた川原家は福岡に戻りました。
その時夫婦で食べていた想いでの味メンタイが恋しくなり、自分で作ることにしたのです。
24年にメンタイとして売り出すもなかなか売り上げは伸びませんでした。
それでもあきらめることのなかった川原俊夫さんは改良を続け32年に「味の明太子」と名付け売り出したのです。
最初のメンタイ発売から8年かかって生まれた明太子。
売りたいから卸してくれとの声がおおくなるものの、卸はしないという方針の川原俊夫さん。
その代わりに作り方を教えるという驚きの行動にでたのです。
特許を取れば市場を独占することができるとの助言が入るも聞かず。
そんなことよりも明太子の市場自体を大きくすることを川原俊夫さんは望みました。
でもそのおかげで福岡の名産が明太子という大きなブランドを作り上げることにつながったのです。
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川原俊夫さんの妻千鶴子さんとの家族構成
最初の年表にあった通り、川原俊夫さんは長男を早くに失っているので、
妻の千鶴子さん、二男の健さん、三男の正孝さん
の4人家族として生活していました。
それぞれの簡単なエピソードを紹介します。
妻・川原千鶴子
川原俊夫さんと結婚する前、千鶴子さんは陸上の選手として活躍していました。
100メートルを12.8秒という記録を持っていた実力の持ち主でした。
戦前の女子記録でアムステルダムオリンピックで銀メダルの人見絹枝さんから、日本体育大学への推薦もあったそうです。
それでもその道を断り、親が決めた結婚を選んだのです。
ふくやの明太子への想いは俊夫さんと同じくらい強く、ふくやが有名になることにたくさん貢献しました。
そんな川原千鶴子さんは平成6年4月2日に亡くなっています。
二男・川原健
福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)で大名支店の支店長としてつとめていました。
役職が役職なだけに何かあった時は弟の正孝さんが先にふくやへ行くと二人で決めていたとのことです。
その健さんも、59年にフクヤに入社。
弟の正孝さんと一緒にふくやの明太子をさらに広めていったのです。
健さんが入ってから正孝さんと二人で通信販売へと取り組み、さらに売り上げを伸ばしました。
そんな健さんの息子である武浩さんが現在、ふくやさんの社長を務めています。
三男・川原正孝
福岡相互銀行で本店営業部の部長代理を務めていた正孝さん。
父の病をきっかけにふくやへの入社を決意しました。
銀行から引き留められるも、昭和54年10月にふくやに営業部長として入社。
55年7月に俊夫さんが亡くなり、入社9か月にして社長となりました。
正孝さんはふくやの法人化に尽力し、入社3年で売上を3倍の60億円にまでしています。
現在はふくやの会長としてご活躍されています。
まとめ
以上で「川原俊夫(ふくや明太子)のプロフィール|妻千鶴子さんとその家族」を終わります。
今はふくや=明太子と簡単につながりますが、そうなるまでには大変な道のりがあったんですね~。
でも家族そろって大変な商才の持ち主であることはまちがいありません。
ふくやを大きく、有名にしただけではなく、福岡に明太子というイメージを作り上げたその功績はとてつもなく大きなものでしょう。
こんなふくやの素敵な物語、ドラマにもなっていることも知りました^^
博多華丸さんが主演だそうです。ぴったりですね♪
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